お湯の香り

昨年のことでした。
全国の温泉をめぐっている温泉に詳しい方が当館においでになり、うちのお風呂を見たいと言って、風呂のドアを開けるなり
「うわ~すごいモール臭!!」
「えっ、そんなに匂いしますか?」と私。
「メチャメチャしますよ!ご主人わかりませんか?」

「生まれてからずっとこの湯に浸かってるので、鼻がこの匂い慣れすぎて感じなくなっちゃってるかも・・・。」と私。
そういえば、「お湯の匂い」に癒されます♡というお客様が結構いらっしゃるな~と思い出しました。

温泉のその肌触りはもちろんのこと、「お湯の匂い」もお湯の印象に残る大きな要素ですね。
きっと温泉好きの皆さんも、あそこの温泉の匂いが好き!あの匂いがたまらないのでまた行ってしまった!という方もあるでしょう。
研究によると匂いと記憶は密接につながっているようです。特に幼いころの記憶は匂いから鮮明に思い起こされることが多いようです。何十年も前、子供のころにおじいさんやおばあさんに連れられて湯治に来ていた方が、大人になってから温泉に来てお湯の匂いをかいだとたん、当時の湯治場の風景がまざまざと思いだされたという話も聞いたことがあります。
では、その温泉の匂いというのは一体何に由来するのでしょうか?
ご存じのように温泉は地中にしみこんでいった天水が、地球の中を旅してまたこの地上に湧き出てくるものですが、その過程で様々な成分をその中に溶かし込んできます。
当館の自家源泉「大沼の湯」は植物起源の有機物を含むモール系と言われており、その太古の植物地層が独特の木の香りや湯臭のもとになっているのではと想像されます。

この地球の地層由来の匂いが人間を癒してくれるというのは、まさにアース・アロマの効用と言っても良いのではないでしょうか?
植物由来のアロマを利用するアロマテラピーはすっかり日常的になりましたが、温泉の肌触りとその匂いが複合的にからみあった温泉アロマテラピーというジャンルもあっても良さそうです。

泉質と同じく、温泉の匂いも温泉ごとに違います。
鳴子温泉郷は400本近くの源泉が湧き出ており、日本にある10の泉質のうち、8つまでがここにあります。一つの温泉エリアで、こんなに多種多様な源泉が湧き出ているのは日本でもなかなかありません。一体、地層がどうなっているのやら、もぐらになって土の中を自由に見ることができたらと、たまに妄想をふくらませてしまいます。

そんな様々な源泉が湧き出る鳴子温泉郷の中で、鳴子温泉駅を中心とした鳴子温泉エリアで匂っているのが硫黄の匂いです。駅を降りたとたんに「あっ、硫黄の匂い!」と思うほどです。それもそのはず、そのエリアは硫黄泉が湧き出る温泉宿が連なっているのです。

温泉というと、やっぱり硫黄の匂いだよね~!という方も多いと思います。考えてみれば硫黄の匂い(硫化水素臭)を温泉地以外で嗅ぐことはあまりないですものね。

そして、あのゆで卵のようなあの匂い、独特です(笑)
好き嫌いは分かれるとは思いますが、温泉好きな方には結構好まれているようです。

温泉の中でも、この硫黄泉が放つ特徴的な硫化水素臭ですが、この匂いに関しても私はあまり感じなくなっています。
当館の源泉には硫化水素の成分は一切ないにも関わらず、なぜこの匂いに反応しなくなっているのでしょうか?
それはきっと、多感な小学校6年間を硫化水素臭が漂う鳴子温泉地区で過ごしたからだと思います。授業中も、校庭で遊ぶ時も硫化水素臭の中にありました。 不思議だったのは日によっては、とても強くその匂いを感じる時もあればあまり感じない日もあることでした。

いずれにせよ常に日常とともにある匂いでした。
温泉の匂いについて、当館の温泉が放つ古代植物地層の匂いや鳴子中心部の硫化水素の匂いを中心にお話をしてきましたが、全国には本当に様々な温泉がありそこから放たれる匂いも千差万別なのだろうと思います。
嗅げばほっとする匂い、昔の思い出と結びつた匂い、楽しいことだけでなく、せつなさや寂しさに結び付いた温泉の匂い。温泉とはきってもきれない、その匂いは濃密に1人1人の記憶の中にしまいこまれています。
温泉は身体を温め清めてくれるだけでなく、お湯がまとう匂いでも私たちを癒してくれます。それは単なる匂いではなく、芳香療法にも通じる「温泉の香り」と呼べるものかもしれません。
先生の声を聞き流しながら、あけ放たれた教室の窓からぼーっと外を眺めていた小学校時代。硫黄泉から放たれる硫化水素臭をかぐたびに、自分の中では無意識にその平和だったころに戻っているのかもしれません。