只管打坐ならぬ、只管打湯 – 温泉会議
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『現代湯治』を複数のメンバーが語り合うように記事を執筆します。温泉でストレスを放電、心をふわりと軽く。ひとりでもふらりと行ける温泉宿の毎日をのぞいてみませんか。

只管打坐ならぬ、只管打湯

若旦那

誠に勝手ではありますが、最近、造語を作りました。

只管打坐(しかんたざ)、ならぬ、「只管打湯」(しかんたゆ)

湯治を通して心と体を整えることができることは、古くから知られています。しかし、現代社会ではストレスや疲れが蓄積されやすく、心身ともに健康を維持することが難しくなっています。そんな中、湯治中に心を整える方法として、坐禅体験を導入したのですが、その坐禅の教えに只管打坐という言葉があります。

只管打坐とは、「ただ座禅に専念し、何の干渉や雑念にも影響されないこと」を意味します。たまに、「入浴しているときは、坐禅や、瞑想をしてる気分になりますね」というお声をお客様からいただくのですが、ふと、只管打坐から「只管打湯」という言葉を連想してしまいました。ただ座る、から、ただ湯に浸かる。歩く禅もあるそうなので、入浴しながら、心も整える、これすなわち湯治ではないかと。

なので、只管打湯とは、温泉に浸かる際に、じっくりと、静かに、心を整えることを意味します。湯治においては、温泉の効能を求めるだけでなく、心のリラックスも重要な要素です。入浴中には、自分の呼吸に集中することで、雑念や余計な心配を捨て、精神的なリラックスを得ることができます。

また、温泉あるあるですが、他の人が話している声や音が気になってしまうことも、あるかもしれません。それでも、只管打湯は、自分自身に集中し、ここにいることを意識することで、心と体を整える禅の修行法とも言えます。

ああ、話している人もいるなあ・・・・・

と、ただただ、受け入れる。はい、難しいですね。笑

でもね、それくらい、心も寛容でないと、疲れちゃいますので。

只管打湯は、温泉に浸かること自体が禅の修行法のようなものである、言葉です。勝手にしました。笑

温泉に浸かりながら、自分自身に集中することで、心と体の健康を維持し、禅の修行を行うことができます。是非、今度の湯治で只管打湯を試してみてはいかがでしょうか。

星宗兵
若旦那
400年続く湯治宿(新潟県・栃尾又温泉 自在館)の若旦那、趣味は野球・スキー、ゴリゴリの体育会系、暇があれば山遊び。温泉が湧き続ける限りこの里山を守りたい。
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