藤村の間とぬる湯と鯉料理「田沢温泉ますや旅館」
上田市の西、青木村の山あいにある小さな温泉街に、往時の面影を色濃く残す木造三階建ての宿がある。島崎藤村がまだ有名作家でなかったころに宿泊した「ますや」。氏が滞在した「藤村の間」に思いがけず宿泊することができた1日を振り返る。
石畳の坂道になじむ高楼の文化財宿
田沢温泉は以前から行ってみたい温泉だったが、公共の交通機関で行こうとするとバスの乗り換えを含むため、少し面倒だった。今回は友人の運転で伺うことができた。
夕食後、「近くの川べで蛍が見られますよ」と教えられて出かけたときに撮影した外観。白壁の土蔵と明治時代に建てられたという木造三階建ての建物が美しい。石畳の奥には、温泉好きに名の知られた共同浴場「有乳湯」がある。
この建物の三階が私たちの宿泊した「藤村の間」である。
特別室「藤村の間」の特別な時間
本当は別な部屋を予約していたのだが、当日のチェックインで「藤村の間が空いていて、こちらにもお泊りいただけますが、いかがですか?」と提案を受けた。せっかくの機会なので、ありがたく宿泊させてもらうことにしたのだった。
玄関ロビーを入ってすぐに「藤村の間」専用の客室扉がある。そこを開けると写真の階段が続いている。玄関の先が実は2階で、客室部分は3階にあたる。
二間続きになった藤村の間。奥に書院を備えた居間があり、手前の間にはすでに布団が敷かれている。障子の向こうには回り廊下が続いている。
一角には、藤村のご子息が記した額がある。今から120年以上も前の明治34年8月、20代の若き藤村はこの部屋に3日間滞在したという。そのころ変わらない造りが今も残り、そこに私たちも滞在できる。
「湯川の音の聞こえる楼上で、(中略)楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ」と、藤村は『千曲川スケッチ』の中で、ますやのことを書いている。きっとそのころから変わっていないんだろうな、とゆらぎのある窓ガラスからの景色を眺めながら思う。
ぬる湯あふれる大浴場と家族風呂
まずは男女別の大浴場へ。藤村の間がある東館からは渡り廊下を進み、かなり歩く。途中には、映画『卓球温泉』のロケ地にもなったピンポン室がある。そこを過ぎて、建物のいちばん奥の大浴場に辿り着く。
内湯からザクザクとあふれる温泉は39~40℃ぐらいか、ぬる湯よりは少し温かく、とろみがある。そして撫でてもなかなか取れない、しっかりとした細かい泡が肌に付く。泉質は単純硫黄泉。お湯自体はそこまで匂わないが、飲泉すると卵臭を感じる。解放感のある露天風呂はさらにぬるめ。
そして忘れてはならないのが、玄関ロビーから階段を下りたところにある家族風呂。隣の共同浴場「有乳湯」ではカランや洗い場の湯に使用する昔ながらの1号泉に、ここでは浸かることができるのだ。
レトロなタイル張りの家族風呂が2か所あり、小さい浴槽のほうがいちばんぬるい。写真の少し大きめの浴槽のほうが湯の投入量が多くて気に入った。大浴場よりも硫化水素臭が浸かりながら感じる。
鯉料理に恋する
食事処でいただく料理もまた素晴らしいもの。山うど、タケノコなど四季の味を活かしている。
お造りは、馬刺し、信州サーモン、そして鯉の洗い。信州名物の揃い踏みだ。鯉は臭みがまったくなくてみずみずしく、脂がのっていて美味しい。
鯉の甘煮も各地で食べるけど、こちらのは味付けが濃すぎず、鯉の旨味が感じられたのは初めてだ。
割引料金で共同湯の名湯にも
ますや旅館の隣は、温泉ファンには知られた共同浴場の「有乳湯」。もともと入浴料200円だが、宿で半額の割引券が購入できる。
泡付きは共同浴場のほうがパワフルで、浸かってすぐに体が気泡だらけになる。チェックインの前後に立ち寄り、ぜひ入り比べてみたいところ。
ますや旅館
長野県小県群青木村田沢温泉