鉄輪温泉で、現代湯治を暮らしに取り入れる
湯治は、温泉に入ることだけが湯治じゃない。
湯治・・・湯で心身を治す日本古来の養生法。
東北エリアに今も色濃く残るこの文化は、西日本では温泉湧出量・源泉数No1の大分県・別府市にもありました。
それは、「鉄輪温泉」。
かんなわおんせん、と読みます。
湯治は、極上のクオリティで保たれた温泉に浸かり、長逗留してじわじわと疲れや傷を手離していくこと。日本古来の養生法といえます。
江戸時代、貝原益軒さんが書かれた「養生訓」には、温泉は”七日一巡り”と1週間ほどの滞在で効果がある、という記述があります。しかしながら、西洋医学も発達した現代においての湯治は、身体を癒すばかりか、心の疲れを手離していくことにも重きがあるように思えます。
いつものせわしい日常からふっと遠のくこと。
いつものルーティンからそっと違うルーティンに変えてみること。
湯治場や湯治宿では、これが1泊2日でも、2泊3日でも、
「現代湯治」として自分を癒してくれる手法のひとつになっていくと考えます。
湯治には、もちろん、温泉そのものや、療養泉の泉質に加え、ロケーション・宿の雰囲気・そこでの会話や空気感等、様々なファクターが作用してくれます。
1日の中で温泉に浸かるのは、おそらく1〜3回程度。それ以外の時間は、ゆったりお昼寝をしたり、ゆっくり本を読んだり、ゆるりとごはんをこしらえたり。温泉をご一緒した方とお話が弾んだりもします。
その、ゆったり、ゆっくり、ゆるりな時間すべてが、「湯治のじかん」と私は考えます。
鉄輪に出会ったときのこと
上記の通り、ゆったり、ゆっくり、ゆるりな時間を過ごせる現代湯治にすっかりハマっていた私は、湯治とうたっていた宿・地域にあちこち足繁く通いました。鳴子温泉、酸ヶ湯温泉、峩々温泉、鉛温泉、有馬温泉、美ヶ原温泉、登別温泉、玉造温泉、本当に様々な場所へ出かけ、1泊2日から長い時には7泊、10泊と、サラリーマンをしながらもノマドワーカー湯治をなんとかして実現していました。
そして200箇所ほどの温泉地を巡ったころ、大分県には、湯治場として鉄輪というエリアがあるらしい。そう聞いて、湯治マニアな私が旅したのが2018年の冬のことです。
この時、「湯治 柳屋」さん、「冨士屋ギャラリー一也百」さんに訪れ、オーナーさんや経営者の皆様から湯治場・鉄輪のことをたくさんたくさん教えてくださいました。
女将さん、経営者さん、この町にいるひとたち、他に訪ねた温泉地よりも「女性」がいきいきしていて前に出てがんばっている・・・!町をつくるのは”ひと”なんだ!そう感じました。
コワーキングスペースもできるかもしれない、新しいカフェもお店もオープンするかもしれない、そんな話がありました。町がどんどん湯治でアップデートしていることに、ワクワクしました。
町を歩くと、「これ、さっき蒸した芋なんやけど、食べる?」「これ、売れ残った卵やけん、もっていきよ」と見ず知らずの私に差し出してくれました。
大阪人の私は、おばちゃんになるとあめちゃんを渡すなにわの文化の中で育ってきたので、え、ここ大阪に似てるんじゃない?!と思いました。
そして、毎日、大阪=別府を結ぶ「フェリーさんふらわぁ号」があることも、なんだかちゃんと繋がってるというお守りのように思えました。
そして、ひとしきり町を堪能して、夕暮れ、鉄輪を一望できる坂道を登りきり、ふと振り返ってみた風景がこれでした。
ちょうど夕暮れ、マジックアワーが始まる頃、ふわぁぁぁぁっ〜と立つ湯けむりがあり、さっきまで歩いていた町の灯りがぽっぽっぽとついていった瞬間でした。
この風景に鳥肌が立ちます。
この町は、生きてる。この町は、生きているんだ。
そして、つい、言葉にもれてしまったのです・・・
「ここに、住みたい。ここで温泉に入りながら生きる暮らしがしたい。」
移住したのはたった4ヶ月後のこと
これまで、湯治場に出掛けては東京・大阪での仕事もあって、都会に戻ってきました。都会で働き、湯治場でリセットする。そのサイクルがもう何年も続いていて、そして違和感もなかったのです。そのペースが自分にとってのいいバランスであり、いいサイクルでした。
2018年11月、一目惚れして、つい口の先に出てきてしまった言葉「ここに、住みたい。」なんてことは、人生で初めてのことでした。そこから、毎日のように鉄輪温泉のことを忘れられませんでした。あそこで暮らしながら温泉に入る日々を想像し、湯治をしながら暮らして働いて。そんなことが憧れになりました。
そして、2019年2月には鉄輪に舞い戻り、家探しをして、2019年3月にはもう、鉄輪に住んでおりました・・・・。
この衝動は自分でも制することができなかったことが、今でもありありと思い出せます。
そして、鉄輪で湯治な暮らしをした
引っ越してからは、毎日朝晩、温泉入りたい放題でした。あ〜なんて幸せな日々。
あれ持っていけ、これ持っていけはたまたまだよね、と思っていたら、ほぼほぼ毎日のことでした笑。
湯けむりがふわふわする坂道は歩いて楽しい、ダイエットにも運動にもなる。
疲れたら温泉、風邪引きかけても温泉、寒くても暑くても温泉。そんな暮らしがたまらなく幸せに思えました。
鉄輪には歩いて数分で何かしらの温泉にぶちあたりますので、タオルとコインを持っていればいつでもひょいっと入れます。
大分県の畜産・農産物も豊かで、食べるものもなんでもおいしくて、地獄蒸しはなぜにこんなに美味しいんだろう。安くても舌の肥えてるなにわの私も、大満足な日々です。
もともと、湯治にハマったのは、こうしたゆるりとした時間を持つことが好きだったからです。自分らしくあれたり、自分のペースや時間の流れ方、ひととの対話など、大切にしたいことを大切にするということが、都会ではなぜか難しく感じていた頃でもありました。湯治にいくと、その全てがほどけて、溶けて、はぁ〜っとため息が湯気の中に消えていくような気がしました。こんなちっぽけな私でも、これでいいんだ。こんなダメなところあるけど、ちょっとずつ直していけばいいか。私にはこんないいところもあるから、ちゃんとそれを生かそうかな。
温泉の中に身を浸すと、そんなふうに、自分のど真ん中を探ることができました。
この暮らし方をもっと伝えたい
鉄輪に移住してから1年後、鉄輪温泉エリアに「湯治ぐらし」という湯治シェアハウスをオープンしました。これは、私が1年間、ゆったりゆっくり過ごしたこの暮らし、湯治暮らしを、もっといろんな人に拡げていけないだろうか、と思ったからです。
何にでも頑張らないといけない時代に、自分らしくあれているのか?
強みも弱みもまるごと抱えて、それでいいじゃないか。
強みは生かして、弱みはカバーしあって、そんな社会が当たり前だといいな。
そう感じた私は、「あれもっていき」「これもっていき」の鉄輪のおかあちゃんたちから学んだ「暮らしのおすそわけ」を、シェアハウスという形でできないかな?と思い至りました。
若い人たちには、湯治なんて古くさく、必要のないもの。
そんな意識も変えていきたかったのです。
身体の治療だけじゃない、こころの養生も今の時代には必要なもの。
たまたま温泉で居合わせた方とのコミュニケーションや、
自炊室でごはんを作りあったときのなんだかほっこりした気分、
読みたかった本だけに没頭できた時間、
裸で自分と向き合うしかなかったひとりの温泉の時間、
それら全て、今の若い人たちにこそ、めっちゃくちゃ大切だと思えました。
バリバリ働いていた自分にも、この湯治の旅が与えてくれたことのメリットは数知れません。誰かが生きやすく、息しやすく。それが温泉、湯治の最も大きな効果なのではないか、と思っています。
鉄輪で、今日もシェアハウスでみんなとご飯を作ったり、笑ったりしています。ヨガをしたり、腸活として麹を使った調味料作り(腸美活レッスン)したり。畑作業をしたり、温泉のカウンセリングもしています。これがいつか、いい社会をつくるひとつのアクションでありますようにと願っています。