「湯治」は古いか? 新しいか?
「湯治は古いイメージがあるので若い人向きに新しい言葉にしたい」という話をよく聞くようになりました。
たしかに、従来の湯治という習慣がなくなりつつあるなか、その心配もよくわかります。ただ、大学生に「湯治」の文字を読ませると、「ゆじ」と読む学生も少なくありません。さらに言えば学生200名中に「湯治を知っているか?」と聞いたところ、60%が知らない、25%は聞いたことはあるがよく知らないと回答しました。つまり、古い以前に、すでに知らない言葉であり、知らない習慣になりつつあるとも言えます。
一方で、学生たちに「なぜ若者が温泉地にいかないのだろうか?」と聞くと、「温泉はどうしてもお年寄り向けというイメージが定着している」という回答が少なくありません。つまり、湯治以前に、温泉地自体に古いというイメージがあるようです。また「そもそも湯船に浸かる習慣がない人が多い」「アクセスが悪い(車がないので交通費がかかる)」など、温泉地に対する意識、入浴、観光行動に対する意識が変化していることがあります。
言葉の持つ意味は大きいですが、それ以前にその行為自体に意味があること、それが伝わっていることが大切とも言えます。また、「古民家」「歴史的なまちなみ」「東京タワー」などのように、古い(さびれた)というイメージが、歴史性やノスタルジックなどの魅力に転じた事例も少なくありません。この際には、その地域の歴史・文化がもつ新しい観光地にはない付加価値が、他との差別化を生み、「特別なもの」として認識されていったこともあります。
新しい言葉をつくってもその意味、行動が認知されなければ、広まることがないことは、様々な言葉の栄枯盛衰を見ていると感じます。一方で、旅行者の行動が増加すれば、その行為を示す言葉が生まれます。近年では、学生からホテルとヴァカンスを組み合わせた韓国生まれの造語である「ホカンス」という言葉をよく聞くようになりました。言葉が先か行動が先か?、卵と鶏のような関係でもありますが、言葉と行動の両方が認知されてこそ、意味があるともいえます。
それでは、「湯治」はどうでしょうか。新しい言葉に置き換えた際に、それが多くの人々に訴求力を生む影響力を持つことは、ハードルが高いようにも思えます。ただ一方では、湯治を知らない学生に、文字だけ見てイメージを聞くと「温泉の効能で心身を癒すイメージ」「温泉に入ってリラックスして治す?こと」「温泉地に滞在しながら病気を治すこと」など、ある意味では、その言葉の中に本質を見出すようです。湯治の歴史・文化を伝えると「日本が誇る素敵な文化」だと答えが学生もいました。近年では湯治×シェアハウスが話題になりましたが、新しい世代ほど逆に「湯治」という言葉に抵抗感がないようにも思えます。
「湯治」が培ってきた文化、歴史は、そこの地域にしかない『温泉資本』でもあります。「観光地の価値とは、差異化された記号である」(安島博幸)ともいわれるように、「湯治」は地域や宿の差別化をする際の「記号」ともなり、ある意味で「一周遅れのトップランナー」になりえるかもしれません。
湯治は温泉地の「不易流行」ではないでしょうか。この連載では、そんな湯治や温泉の魅力について、「温故知新」をテーマ考えていきたいと思います。