湯治と哲学「情報量が増えれば幸せになれるのか?」
総務省が発表しているデータによると、2002年時点のインターネット全体の情報量を10とした場合、2020年にはその値が60,000に達しています。
つまり、およそ6,000倍ということになります。
この種の比較データは他にも様々ありますが、総じて言えるのは「私たち一般人が日々触れる情報量は、とてつもない勢いで増えている」ということです。
それは実際の肌感覚としても、多くの人が感じているのではないでしょうか。
これが良いことなのか、悪いことなのか
それは人それぞれの捉え方や価値観によって異なるでしょう。
ここでその善し悪しを論じるつもりはありませんが、私たちは少なくとも、自分自身がどのように考え、生きていきたいかを、自分で見つめ直し、調整する必要があると思います。
湯治に触れていただくことは、ある種、「スローな生き方」に触れていただくことでもあります。
情報に多く触れれば触れるほど幸せになれるのか―
決してそうとは限りません。
そういう人もいれば、そうでない人もいます。
お風呂に入っている間、私たちの感覚は限定されます。
触れるのはお湯の温もり、耳に届くのはせせらぎや風の音。
その瞬間、自分の身体は「今、ここ」にあるものだけに集中するのです。
普段、私たちはスマートフォンを通じて、世界中の情報を得ています。
それらは、たいてい自分がほとんど干渉できない、遥か遠くで起きていることばかり。
そういったことに一喜一憂しながら、空いた時間の大半を過ごしているのが現実ではないでしょうか。
遠くを見つめることと同じくらい、近くを見つめ、感じることも大切です。
近視眼的すぎてもいけないし、遠くばかり見ていてもいけません。
バランスが大切です。
たとえば環境問題。
非常にスケールの大きなテーマであり、個人にできることは限られています。
調べれば調べるほど不安になり、気持ちが沈むこともあるでしょう。
しかし、だからといって「知らなくてよい」ということにはなりません。
かといって、不安や恐れに縛られ続けるのも健全ではありません。
それぞれが自分に合った距離感を保ち、バランスを取ることが大切です。
極端な話、人類全員が環境活動家になることはできません。
人にはそれぞれの、生き方があります。
湯治は、そうした「少しスローな価値観や生き方」に触れられる場所。
のんびりと、日常の情報から一歩距離を置き、心身のペースを取り戻せる場所です。
「良い湯治とは何か?」
「良い宿とは何か?」
そんな問いを、私は日々ぼんやりと考え続けています。
現代を生きる人々にとって、そんな役割を果たすことができたら――
そう願いながら、今日も山あいの湯を守ります。